人生20年を振り返る
おはようございます!
最近、「毎週日曜日にブログを更新しまーす」と言いながら、結構マメにブログを更新し続けているゆーへーです。
本日は「人生20年を振り返る」ということで、僕のこれまでのキャリアを振り返りたいと思います!
かなりの分量になるので心して読んでください!笑
約4000時です…笑
しかし、これを読むと僕のことは大体わかるので、読む価値はあると思いますよ!!
それでは早速いきましょう!
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[目次]
・はじめに
・人生の分岐点
*分岐点①
7歳:バスケットボールを始める
*分岐点②
16歳:高校進学
*分岐点③
18歳:大学進学
*分岐点④
20歳:起業を決意
・出会い
*家庭環境
*指導者(先生)
*仲間
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・はじめに
僕のこれまでの人生を一言で表すと「点滴穿石(てんてきせんせき)」です。
「点滴穿石」とは、
字の如く、水も同じ位置に落ち続ければ、いずれ石に穴を開けるという所からきています。
つまり、
小さな力でも、コツコツ継続していれば、大きな成果につながる
という意味です。
僕自身、人生で成功と言われるような経験(志望校合格や勝負事での勝利など)をした時は必ず「小さな毎日の積み重ね」ができていました。
「1.01の法則」と言われるようなものもありますが…
僕は小さい頃からコツコツ努力することは苦ではなく、少しでも小さな成果に対して素直に喜ぶことができました。
こうした日々の小さな積み重ねを、無意識に積み上げてきたからこそいまの自分があり、これまでの成果につながっているのだと感じています。
・人生の分岐点
僕の人生を振り返った時、人生の分岐点は4つありました。
ここでは、その人生の分岐点について一つずつ振り返っていきたいと思います。
*分岐点①
7歳:バスケットボールを始める
小学2年生の頃、父から与えられた『スラムダンク』を読み、バスケットボールの魅力に取り憑かれました。
なぜ『スラムダンク』のどこに惹かれたのかは思い出せませんが、強烈なインスピレーションを受けた事は覚えています。
この時から僕は現在に至るまでバスケットボール人生を歩んでいます。
この時バスケットボールを始めていなかったら、今の自分は何をしているのかと考えても何も見えてきません。
それほど僕の今までの人生はバスケットボールで埋め尽くされています(笑)
I love Basketball!!!
*分岐点②
16歳:高校進学
これは③の大学進学にも繋がってくるのですが、ある意味ここで人生で最初の大きな決断をしました。
それは「高校選び」です。
僕自身は、中学校の頃からずっと家から一番近い公立高校に進学しようと考えていました。
そこは、頭も(まあまあ)良いし、バスケットボール部も京都府でベスト4のまあまあな強豪校であるため、僕にとって申し分のない学校でした。
そんな進学先を固めようとしていた当時、僕はバスケットボールで京都府選抜メンバーとして全国大会に出たこともあり、京都で2番目に強い強豪校からスカウトを受けました。
近くの高校(家から徒歩3分なのです…)かバスケットボールの強豪校か。
結論を言うと、「バスケットボールの強豪校」に進学しました。
理由は、小学校から僕の高校での目標は、当時最強と言われていた「洛南高校」を倒すことでした。
洛南高校は全国大会優勝複数回、京都府の大会では44連覇中という「超」強豪校でした。
この洛南高校を倒して全国大会に行くことこそが僕の最大の目標でした。
さらに、京都府選抜メンバーに「洛南高校を倒したい」と考えを伝えたところ、僕以外のスタメン4人全員が「一緒に洛南を倒そうぜ」と賛同してくれました。
そうした追い風もあり、僕(達)は近くの高校ではなく、バスケットボールの強豪校に進学し、洛南高校を倒すために努力し続けました。
そして、高校2年生の時、洛南高校の45連覇を阻止し、全国大会に出場することができました。
この経験は、後で振り返ると非常に多くの学びがありました。
まず
進学先で何を達成したいのかが明確であった
そして
周りに働きかけること、目標達成のために仲間に頼ること
の2つです。
特に進学先を決める時、学校の偏差値やネームバリューで選びがちな部分もあるかと思います。
しかし、進学先を決める時に一番重要なことは「その進学先で何を達成し、どう次のステージにつなげるか」ということをこの経験を通して学びました。
分岐点③
18歳:大学進学
大学選びはあまり困りませんでした。
それは、高校選びの時に学んだ「その進学先で何を達成し、どう次のステージにつなげるか」を基に考えられたためです。
もともと高校にスカウトされた時に「ぜひ、慶應に行って欲しい」とも言われていたため、自然と慶應を考えていました。
しかし、大学を考える時、一つ気づいたことがあります。
それは
「このままバスケだけで良いのか」
ということです。
たとえプロになったとしてもせいぜい30代後半までのキャリアです。
その後の人生の方が長いことに気付いてしまったわけです。
そこで僕は大学では「将来の視野を広げ、可能性を高める」事を達成目標とし、バスケットボールと学問の両立を高度な次元で行える慶應義塾大学に進学する事を決意しました。
なぜこの大学進学が人生の分岐点であるかというと、この慶應義塾大学への進学を機に人生の目標が定まったためです。
これまで考えてもみなかった「起業」という可能性に出会い、日本の教育を変えたい、キャリア教育をしたいと思ったのは、慶應義塾大学に進学したからこそだと思います。
人生が大きく変わったというより、人生の目標が見つかったという点で人生の分岐点に挙げました。
慶應以外の大学へ進学していたら、バスケだけして勉強はせず、将来について何も考えてなかったと思います。
これら進路選びの経験より、
・将来の目標を達成するための一手段として進路(進学先)を選ぶ
・その進学先で何を達成し、どのようにして次のステージに繋がっていくのか
という事を僕はみなさんにお伝えしたいです。
*分岐点④
20歳:起業を決意
先輩方の就活する姿を見て気づいたことがあります。
・給料やネームバリューで選ぶ
・自分の就きたい仕事がわかっていない
・慶應というこれからの日本の社会を作っていかなければいけない立場なのに、社会の
歯車の一つとして働いている
先輩方を見ていると、就活になると自己分析をして、自分のやりたい事を探し、給料やネームバリューで会社を選び、社会の歯車の一つとして働くと行った流れがほとんどです。
これは僕がこれまで進路を選ぶ際、大切にしていた
「その進学先で何を達成し、どう次のステージにつなげるか」
とは考え方が異なるため、就職に対して大きな違和感を感じました。
慶應義塾は「社会の先導者の輩出」を理念として掲げ、これからの社会を引っ張っていかなければいけないのに、社会の歯車の一つとして働くという現実が受け入れられませんでした。
「社会の歯車として働く」→「社会の歯車を生み出す」
この理想と現実のギャップに激しく違和感を感じてしまい、このきっかけを機に僕は
「社会の歯車を生み出す」=新しい日本を作る
という使命感をより強く持つようになりました。
そして、起業という形でこれからの日本を作っていこうと決意しました。
・出会い
*家庭環境
・放任主義
勉強はしなくても良い。
でも、自分の納得のいく進路に進めなかったとしても、それは自分の責任だよ。
これが、親のスタンスでした。
ここで普通の小学生だったら、勉強をサボって遊びまくっていたかもしれません。
しかし、僕は負けず嫌いの性格で、負けるのが大嫌いな性格です。
何事も誰にも負けたくなかった。
もちろん勉強でも。
だから必死に勉強しました。
決して妥協はしませんでした。
このある意味放任主義の教育下で育てられた事もあり、僕は早くから自分の考えを持
ち、自立していたのだと思います。
・好きな事を好きなだけやらせてくれた
僕がやりたいと言ったら、基本親は何でもやらせてくれました。
しかも、僕が辞めたいと言うまで、続けさせてくれました。
空手、絵画教室、ビジネスサロン…
たくさんの僕の「やりたい」を叶えてくれました。
この経験から、とりあえず何でも経験してみる事で、自分に向いているのか、向いて
いないのかが分かる事を学びました。
この学びは、キャリア教育において必ず活かす事の出来る経験だと思います。
何もやっていないのに「自分にはできない」と決めつけてしまっている事は多いかと
思います。
しかし、やってみる事で気づく事の方が多く、必ず成長につながるという事を伝えて
いきたいと考えています。
*仲間
僕の高校の仲間で、大学を中退してプロバスケットボール選手になった奴がいます。
周囲からはその行動に対して賛否両論で
「すごいねー」と褒める人もいれば、「大学中退するのは勿体無くない?」と否定的な意見を耳にする事もあります。
僕は非常に彼のことを尊敬しています。
どこを尊敬しているかというと、
「目標に向かって直線的に最短距離で突き進んでいる」
姿にいつも刺激を受け、僕を奮い立たせてくれているからです。
彼が大学を中退してプロになったと聞き、目標を叶えるために大きな決断をした彼にインスピレーションを受け、僕は企業を決意することができました。
以上のように、僕のこれまでの20年間を振り返るとまだまだ書きたいことはたくさんありますが、たくさんの経験と出会いとで成り立っていることがわかりました。
これからもこの出会いと経験を大切にし、たくさん学んでいきたいと思います!
長文失礼いたしました。
バイ!