勉強と学問の違い
こんにちは!
ゆーへーです
そろそろこの書き始めの文章も型を作って行きたいと考えている今日この頃であります…
さて、今日は時間に余裕があるので特別に週一のアウトプット以外に番外編アウトプットをしたいと思います。
それでは早速いってみましょう!!
今回は「勉強と学問との違い」についてです。
この解釈には人それぞれの解釈がありますが、僕自身が考える勉強と学問の違いについての考えをアウトプットしたいと思います。
「勉強」
勉強とは「答えのある質問に対して正確に答えられるようにする訓練」のことだと考えています。
いわゆる国語、算数、理科、社会、英語といった高校教育までの学習ですね。
これらは、非常に結果がわかりやすく、合っているor間違っているかの二つしかないので数値化しやすく、成績の評価がしやすいということもあって高校教育までの主流であるのだと思います。
「学問」
これは「答えのない問題に対して思考し続けることで思考を深める」ことだと考えています。
いわゆる大学での学びがこれに当たると思います。
例えば、「シンギュラリティを迎える時代における人間の役割とは」という問題について思考することが学問であると考えられます。
質問を読んでいただくと感じるかと思いますが「答えがない」んです。
つまり、何でも正解になり、何でも間違いになってしまう可能性があるのです。
このように、学問を学ぶにあたり重要になってくるのが「思考し続ける」ということです。
過去の自分の学びを繋ぎ合わせながら新しい情報と擦り合わせ、自分だけの知見を見出すことが学問の最大の目的であると考えています。
これには、ある一定の知識が必要になってくることも確かです。
この知識は、勉強によって自分の中に蓄積させなければいけません。
次に、この考え方をもとにすると、新たな問題点が浮上してきます。
それは、「高校教育の在り方」です。
これまでの高校教育のままだと、答えのある問題にしか向き合ったことがない人がほとんどです。
そのため、大学で学問に対峙した時、すぐに答えを求めてしまう思考になっています。
そして、学問の不明確性に違和感を感じ、大学での学びが辛く苦しいと感じる人が出てきてしまう環境を作ってしまっているのが現状です。
しかし、これからの時代に必要になってくるのは間違いなく「学問」です。
勉強は自分で選び獲っていく社会にならないといけません。
何故ならば、勉強はAI(人工知能)の方が人間よりも優れているためです。
こうした時代変化の中で、果たして人間の本当の価値は何なのか、ということを考えてみてください。
これから人間に求められることは何なのかを「思考し続ける」ことが大切です。
今回は「勉強と学問に違い」について簡単に僕自身の考えを書いてみました。
賛成・反対両方あると思いますが一意見として受け止めてもらえたらと思います!
ではまた!
バイ!